2015-07-10

四万六千日の心願成就


文京区に引っ越しきてから毎年楽しみにしているのが、千駄木の光源寺の千成ほおずき市です。この辺りは、谷根千と言われるエリアでお寺が多く、まだ少し懐しい風情が残っています。

初めて光源寺のほおずき市に来た時に、子供の頃によく行った縁日の様な景色に懐かしさを感じました。私の通った幼稚園もお寺だったので、花祭りや御霊祭りと観音様を身近に感じる機会も多かった気がします。

「今日は四万六千日ですから、先ずは、お参りをしたら、お願いごとを書いて下さいね」と短冊を頂くと、そこには心願成就という言葉が書いてありました。
「心で願うことが成就する。」その通りだ…と紛れもなく思いました。

ヨーガや瞑想を始めた頃は、穏やかな心からの願いと欲望がごちゃ混ぜになっていました。
願望は大体が「こうであってほしい!こうなるべきだ!」というような思いです。
そのため欲望が叶わない結果に対して落胆したり、不平不満が出ます。
私自身も何度となくこの期待と落胆のサークルにはまってきました。

マインドフルネスといわれる客観視の瞑想と慈しみの瞑想をするようになって、期待と願いの違いが分かるようになりました。期待を持つとき私の意識は「こうであって欲しいな」と外に向いてると気づきます。でも願いの時、私の意識は内に向かっていて、気持ちが穏やかでいます。たまに、これは期待なのか、願いなのか判断がつかないものがあります。そういう時は、そこで焦って答えを出さずに少し放っておきます。しばらくしてから、またそのことについて考えてみると、大体は欲望だったと気づきます。

さて、その心願成就ですが、短冊を前にして観音様の姿を拝見したら、慈しみの瞑想が浮かびました。

「生きとし生けるものが幸せでありますように」

四万六千日お願いさせていだだきました。

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